TOKYO AND ME
東京で暮らす人、 東京を旅する人。
それぞれにとって極めて個人的な東京の風景を、 写真家・ホンマタカシが切り取る。
写真:ホンマタカシ 文・編集:落合真林子 (CLASKA)
Sounds of Tokyo 46. (NATIONAL AZABU)
両親共に群馬の前橋出身で、 私自身は高崎で生まれたと聞いています。
2歳の時に父の転勤で群馬から東京の広尾に。 天現寺の交差点のそばにある社宅に引っ越しました。
以来、 約2年前に栃木の黒磯に拠点を移すまではずっと東京。
大岡山、 つくし野、 自由が丘、 青山、 代官山など色々な街で暮らしてきました。
それぞれ懐かしく思うことがあるものの、 自分自身の片鱗というか “思い” が残っているところって意外に少ないんです。
でもやっぱり一番思い出深いのは広尾かな。 私の人生のスタート地と言える街であり、 「はじめての東京」 だったからかもしれません。
広尾で暮らしたのは小学3年生までの約8年間です。
社宅は、 小津安二郎の映画に出てきそうなモダンな文化住宅。 1階と2階にそれぞれ5世帯入っていて、 小さな庭があって、 台所スペースには当時はまだ珍しかったであろう、 食卓テーブルと椅子があって。
今まで住んだ家の中で一番印象的だったと言っていいくらい、 とても気に入っていました。
昭和30年代前半のことですから、 まだ広尾の街に路面電車が走っていた時代です。
越してきてから5年後に東京オリンピックが開催されたので、 東京がものすごい速さで変化していった時期でもありました。
路面電車が無くなって、 家の周りの道路が綺麗になって、 子ども心に 「世界は変わるんだな」 と感じたのを覚えています。
当時の遊びといえば、 6歳違いの兄と一緒に行く有栖川宮記念公園でのザリガニ釣り。
広尾の商店街も活気がありましたよ。
母は基本的にスーパーではなく商店街で買い物をしていたのですが、 八百屋、 魚屋、 肉屋などが立ち並んでいて、 月に2度縁日もありました。
あとは銭湯かな。
お酒が好きだった父は、 日曜の夕方に商店街の入り口にある銭湯でひと風呂浴びて向かいの焼き鳥屋で一杯飲むことを密かな楽しみにしていました。
私は 「みどりクン、 一緒に風呂行くか?」 と言われるとついて行って、 銭湯を出た後は焼き鳥屋のカウンターでビールを飲む父の横にちょこんと立って待つんです。 父は必ずモツ煮を頼みました。
「お母さんには内緒」 というのは暗黙の了解。 家に帰ったら夕食が用意されていて、 父は何事もなかったかのように食べるという(笑)。
こういうシチュエーション、 今でもキュッと来ますよね。
放課後、 小学校の友達と一緒に銭湯に行ったこともありました。
お風呂に入った後はパジャマを着るのが決まりだと思っていたから、 パジャマも洗面器に入れて銭湯へ。
まだ明るい時間にお風呂に入って、 その足で銭湯からちょっと行ったところにある高級スーパーの「NATIONAL AZABU」 に入ったらガードマンに追いかけられて。 そりゃそうですよね。 パジャマを着た小学生が店内をウロウロしているんだもの (笑)。
つくづく、 長閑な時代だったなぁと思います。
工場をやっている友達の家に遊びに行った時に人生ではじめてのインスタントラーメンを食べたり、 「お風呂も入っていきなよ!」 って言われて見たお風呂が、 ドラム缶風呂でびっくりしたり。
「広尾に住んでいました」 って言うと、 大体は 「あら、 いいところに」 というような反応をいただくんですけど、 私の記憶の中にある広尾はこんな感じです。
商店街のあたりは下町感があふれていて、 その一方で昔からのお屋敷が建ち並ぶエリアもあって。 私は、 ちょうどその狭間に立っていた感覚かな。
約20年前から平日は東京、 週末は黒磯という二拠点生活をはじめました。
きっかけは、 夫の故郷である黒磯に遊びに行った時に 「ここに住みたい」 と思わせてくれる物件に出会ったことです。
元々タクシー会社が所有していた倉庫のような建物を、 毎週末東京から通って少しずつ手入れをして、 気が付けば15年という時が経っていました。
はじめた当初は、 10年やったら軸足を再び東京に戻す予定だったのですが、 「やっぱりもう少し続けよう」 と。 その数年後、 コロナ禍がやってきました。
3ヶ月間、 東京を離れて黒磯暮らしをした後に私と夫の中に芽生えたのは、 「軸足を東京に戻すのではなくて、 黒磯に移すのもありだな」 という思いでした。
シンプルに、 黒磯での生活がすごく心地よかったんです。
仕事でもプライベートでも “出し惜しみしない” ことをずっと大切にしてきました。
いいアイディアがあったら、 勿体ぶらずにどんどん出しちゃう。
「出し惜しみをせずに出来ることをやっておくと、 その先に何かが広がっている」 という体感がありました。
今思えば、 住まいに関してもそうなりましたね。
20年前、 「まずはやってみよう」 という気持ちで二拠点生活をスタートしました。
そして気が付いたら 「どこで暮らすか」 という選択肢が広がっていた。
やっぱり、 動けば何かが生まれるんだなと。
東京を離れることを機に、 フードスタイリストの仕事から離れました。
今の仕事は 「タミゼ テーブル」 店主です。
長い間、 楽しくて寝るのも惜しいなぁと思うくらい一生懸命仕事をしてきました。
でも、 もう十分色々なものを見たし、 人との出会いにも恵まれたし、 沢山食べたり買ったりしたし (笑)。
「やり尽くした」 といったら大げさだけど、 フードスタイリストという仕事を通じて沢山の経験をさせてもらったから、 もう執着がないんです。
東京との関係性も、 どこかそれに似ているところがある気がしますね。
黒磯の生活の何が心地いいかってね、 全てを見渡せるんですよ。
自分が何をどこに置いているか、 今どんな仕事をしているか、 次に何をするのか。 全部見渡せるから不安感がない。
この歳になってようやく、 自分の人生が見通せるようになった気がしています。
高橋みどりっていう大きさのままでいられることが、 一番心地いいんだなと。
料理や生活というジャンルに関わってきた私が言うのも変な話なんですけど、 「生活してるなぁ、 生きてるなぁ」 っていう感じなんですよ。
朝・昼・晩、 3度のごはんをつくって 「ああ美味しい」 と思えることが何より幸せ。
自分がスタイリングをした料理本や素敵な方々から教えてもらったことが、 今ものすごく役立っているんです。
東京で過ごした時間があったからこそ、 黒磯での生活が心地いいと思えるのかもしれませんね。
「これでいいのだ、 私は」。
そんな気持ちで日々を過ごしています。
Profile
高橋みどり Midori Takahashi
長年にわたり、 広告から出版に至るまで食まわりを中心にフードスタイリストとして活動。 関わった料理本は100冊以上になる。 著書に 『おいしい時間』 (アノニマ・スタジオ)、 『伝言レシピ』 (マガジンハウス) など。 2021年末に生活の拠点を栃木県に移し、 現在は生活雑貨を扱う 「タミゼ テーブル」 店主として店を切り盛りしている。
Instagram:@tamiser.table
東京と私