TOKYO AND ME
東京で暮らす人、東京を旅する人。
それぞれにとって極めて個人的な東京の風景を、写真家・ホンマタカシが切り取る。
写真:ホンマタカシ 文・編集:落合真林子 (CLASKA)
Sounds of Tokyo 45. (Akasaka-mitsuke Crossing)
東京に来るのは、 今回で20回目くらいになるでしょうか。
仕事を介して関わりを持つ前、 自分にとって日本はとても遠い存在でした。
今ではパリにも沢山の日本食レストランがあるけれど、 僕が学生だった1980年代はほんの数軒のSUSHIレストランがあっただけ。
何より、 パリと日本の距離はものすごく離れていますからね。
1990年に銀座の 「資生堂ギャラリー」 で展示をする機会を頂いて、 その時の来日がはじめての日本であり、 はじめての東京でした。
もう30年以上前の話ですが、 その時のことは今でもよく覚えています。
季節は夏で、 その時は青山界隈にあるホテルに泊まりました。
夜に友人と一緒にホテルの周辺を散歩していたら、 歩道沿いにまるでレストランのようないい感じの屋台を発見して、 そこで食事をして。
当時は外国人観光客もほとんどいなくて、 観光というよりは仕事で来日している人がほとんどだったんじゃないでしょうか。 自分もその中の一人でしたが、 観光客であふれる前のピュアな東京を体感出来たのは、 今思えばラッキーだったのかもしれません。
その初来日時に書店で偶然出会った 『SWITCH』 という雑誌も、 大切な思い出の一つです。
まるごと一冊、 写真家のロバート・フランクを特集した号だったのですが、 日本の雑誌のクオリティの高さに驚いて思わず2冊買って帰りました。
そのうちの1冊は、 今でもパリのアトリエに飾ってあります。
初来日の翌年、 日本の雑誌 『composite』 の仕事で再び東京を訪れることに。
東京の街をドローイングしたり、 ライターとして記事を書いたりしながら過ごしたのですが、 その時にはじめて 「赤坂プリンスホテル」 に泊まりました。
クライアントが38階にある眺めのいい部屋を用意してくださり、 そこに2週間ほど滞在したんです。
部屋の窓の外に見えた風景が、 今でも鮮明に記憶に残っています。
建物のすぐそばを走っている高速道路が、 高層階から見るとまるで宙に浮いているように見えたこと。
その脇にある池にボートが浮いている光景が妙に幻想的だったこと。
街の音が部屋の中まで上がってきて、 まるで飛行機に乗っているような感覚というか……夢の中にいるのではと錯覚するような、 非日常的な空間でした。
赤坂プリンスホテルに泊まったのは3回で回数としては決して多くないのですが、 なぜか強く記憶に残っている場所です。
ホテルの2階にあった 「ビジネスサービスセンター」 からフランスにいる妻と子どもにFAXを送ったこともいい思い出ですし、 何度目の滞在の時だったか東京に雪が降ったことがあって、 部屋からの眺めが綺麗で思わず外に出て散歩したことも。 あれはいい時間でした。
これは東京に限った話ではないのですが、 仕事で旅をする時はクライアントに会う時間以外は基本的にホテルの部屋で音楽をかけながら絵を描いていることが多いんですね。
大体は仕事のための絵ですけど、 時々自分自身の作品として描いたりもします。
観光しないの? と言われそうだけど、 「仕事をしながら旅をする」 というスタイルがとても気に入っているんです。
パリのアートスクールを卒業して出版社で働いていた若い頃、 撮影をしながら様々な国を飛び回るファッションフォトグラファーたちのライフスタイルに憧れの気持ちを抱いていました。
僕はフォトグラファーにはなりませんでしたが、 今では写真を撮るように人や風景を切り取って絵を描き、 仕事で様々な国を旅することが自分のスタイルのひとつになっています。
もちろん仕事ばかりではなく、 自分の時間も大切にしていますよ。
赤坂プリンスホテルに泊まった時もタクシーに乗って青山のギャラリーへ行ってみたり、 ホテルの近所を散策して食事をしたり。 新宿のゴールデン街にも、 お気に入りの店ができたんですよ !
でもやっぱり、 自分の時間ができると自然と絵を描きたくなりますね。
赤坂プリンスホテルが取り壊されるというニュースは、 フランスで知りました。
ホテルを設計したのは、 丹下健三でしたよね ? 著名な建築家が設計した建築物でも取り壊してしまうんだ、 と驚いた記憶があります。
フランスでは古くなったという理由で建物を取り壊すことがほとんどないし、 特に高層ビルの場合は一度建てたら誰も触らない、 みたいな感じですから。
文化の違いを感じつつ、 「古いものを壊してそこに新しい建物を建てる」 という循環が東京ならではの面白さなのかな、 とも思ったりします。
取り壊しのニュースと同時に知ったのが、 閉館前の2011年3月11日に起こった 「東日本大震災」 の被災者の方々の一時避難施設としてホテルが機能したということです。
自分も含め沢山の人たちに愛されたホテルだと思いますが、 こういった取り組みもホテルの歴史の中で大きな意味を持つのではないかと思いました。
実は先日、 ホテルの跡地がどうなったんだろうと気になって現地に行ってみたんですよ。
あらかじめ跡地に建った建物の写真をインターネットで確認してから行ったのですが、 なぜかなかなか見つからない。 そうしたら……。
今回の宿泊場所は 「ホテル・ニューオータニ」 だったのですが、 ある朝最上階にあるレストランで朝食を食べながら外の景色を何気なく眺めていたら、 探していた建物がすぐ目の前にあったんですよ ! ずっと近くにいたのに、 どうして気がつかなかったんでしょう。 今でも不思議でなりません (笑)。
気が付けば、 日本での仕事を終えて帰国する時に 「フランスに帰りたくないな」 と思うようになっていました。
日本にいる時に感じるこの国特有の静寂感はフランスでは体感できないものであり、 自分にとってとても心地いいからです。
アート鑑賞の仕方に関しても、 フランス人の場合は芸術に関するコミュニケーションを交わす時は言葉が前面に出てくるのですが、 日本で展示をする度に 「アートは視覚言語なのだ」 ということをしみじみ感じます。
活発な議論を交わさずとも、 作品を見に来てくれた方々とコミュニケーションをとれているような気がして嬉しくなるんです。 物足りないと感じるフランス人もいるかもしれないけど、 僕にとっては実に心地いいんですよね。
はじめて東京に来てから30年以上の月日が経ちますが、 当時と今を比較して東京が大きく変化したようには感じません。 変わったところを敢えてあげるならば……何度も言うようだけど、 外国人観光客がものすごく増えたことかな (笑)。
30年前のピュアな東京が少しだけ恋しかったりもするけれど、 詩的で夢のような気持ちにさせてくれる “poétique (ポエティック)” な街であることに変わりはありません。
具体的な何かがあるから、 というよりも 「この街にいることが好き」 と思わせてくれる、 大切な場所なんです。
Profile
ジャン=フィリップ・デローム Jean-Philippe Delhomme
1959年フランス生まれ。 国立高等装飾美術学校卒業後、 1985年から印刷媒体でイラストレーションの仕事をはじめる。 90年代初頭に、 バーニーズニューヨークの広告キャンペーンで一躍有名に。 ドローイング集や詩画集をリリース。 その後、 活躍をイラストから絵画に移行していく。 2017年、 はじめて油彩作品を発表。 最近の主な展覧会に、 パリのオルセー美術館、 LAのパシフィック・デザイン・センターなど。
Instagram:@jeanphilippedelhomme
東京と私