
つくる人
日常生活を豊かにする "もの" を生み出す人たちとの
トークセッション。
「gungulparman (グングルパーマン)」 名義でのアクセサリー制作から、
デザインやイラストレーション、 グラフィックまで。
一度目にしたら忘れられない、 ユーモアにあふれる色やかたちを自由自在に操る "美術活動" をする、 外山夏緒さんのアトリエを訪ねました。
写真:川村恵理 聞き手・文・編集:落合真林子 (CLASKA)
CONTENTS
第1回/ ミッキーマウスの思い出
第2回/"偽物の財宝" で食いつなぐ
第3回/「はみ出し」や「矛盾」を愛する
第4回/手を動かし続ける理由
Profile
外山夏緒 (とやま・なつお)
2015年より絵や詩、 物語性のある要素で展開したインスタレーションなどの美術活動をスタート。 「gungulparman (グングルパーマン) 」 の名で 「偽物の財宝」 などのプロダクト制作と販売を続ける。 2022年ブックレーベル 「無駄花束 (MUDABANATABA)」 を立ち上げ活動中。 http://toyamanatsuo.com/
Instagram: @toyamanatsuo
第1回
ミッキーマウスの思い出
──CLASKA ONLINE SHOP や CLASKA Gallery &Shop "DO" の実店舗で取り扱いをさせていただいている 「gungulparman (グングルパーマン) 」 のアクセサリー、 年齢問わず沢山のお客さまに好評いただいています。 いつも素敵な作品をありがとうございます。
外山夏緒さん (以下、 敬称略):
取り扱いをスタートしてくださったのは確か 2017 年か 2018 年だったと思うので……もう約 8 年お世話になっているということですね。 こちらこそ、 いつもお世話になっています。
──外山さんはアクセサリーのプロジェクトの他にもイラストレーションやグラフィック、 空間装飾などさまざま分野で活動をされています。 率直に言いますと、 「外山さんって何者なんだろう?」 という興味がありまして、 普段私たちが接しているアクセサリーのことも含め外山さんのものづくり全般についてお話をお聞きしたく、 インタビューを申し込ませていただきました。
外山:
ありがとうございます。 うまくお話できるかわかりませんが、 よろしくお願いいたします。
──生まれは東京都の東村山だそうですね。 どんな幼少期を過ごされたのでしょうか。
外山:
東村山という土地柄もそうですし、 家庭環境としても特に文化的なものに囲まれていたわけではなかったので、 本当にごく普通の幼少時代を過ごしたと思います。 ただ、 今の自分の活動を根底で支えている柱のようなものが、 子ども時代に経験した "或ること" に由来しているかも……という自覚はあったりします。
──どんなエピソードが?
外山:
3 歳の時にはじめてディズニーランドに行って、 ミニーマウスのぬいぐるみを買ってもらったんです。 私はそれをすごく大切にしていたんですけど、 ある時、 家の近所のイベントの景品でミッキーマウスのぬいぐるみをいただいて。 そしてそれは、 子どもの目から見てもわかるくらいの明らかな偽物だったんです (笑)。
──なるほど (笑)。
外山:
私はそのミッキーもミニーと同じように大切にしていたのですが、 ある時友だちにミッキーが偽物であることを馬鹿にされたんです。 その時、 違和感というか強い反発心を感じたんですね。 「確かにこれは偽物だけど、 私が大切に思っている気持ちは本物だよ」 と。
──「本物」 「偽物」 という言葉にしてしまうと優劣の差のようなものを感じてしまいますが、 本当のところはどうなんだ? と。
外山:
そうです。 その時に感じた 「何が正解かなんてわからないじゃないか!」 という気持ちが、 今の自分の活動に繋がっている気がします。 子どもの頃から絵を描くことが好きだったので、 それも今の自分に繋がってはいますが、 そういった楽しい記憶よりも、 報われなかった気持ちや 「私はこう思っていたのに、 伝わらなかった!」 とか、 苦い記憶や経験の方が今に繋がっている感覚がありますね。
──「gungulparman」 のアクセサリーは、 外山さんが 2016 年に開催した個展 『火星人が仕掛けた罠〜グングルパーマン・詩とアートピース〜』 をきっかけに誕生したと伺っています。 「偽物の金銀財宝」 を表現するために光沢のあるサテン生地でアクセサリーを制作したのがスタートだということで、 確かにミッキーマウスのエピソードに繋がるものを感じますね。
外山:
「物事のどこまでが本物でどこからが偽物なのか?」 という問いかけが、 今でも常に自分の表現活動の根底にあります。 幼い頃って自分の気持ちを言語化するのが難しいじゃないですか。 私は得に苦手な方だったので、 偽物のミッキーを馬鹿にされたあの時に相手に言い返したかったことを、 今こうして具体化しているのかなと思ったりします (笑)。
──子どもの頃に一番夢中になったことは何ですか?
外山:
漫画家になりたくて、 小学校高学年から 16 歳くらいまで出版社に自分の作品を持ち込みしていました。 「すごいものが描けたから見てほしい!」 というよりは、 自分が描いたものが世の中的にどういう位置にあるのかを知りたい、 という気持ちのほうが強かったと思います。 4〜5年持ち込みを続けたのですが、 高校に入るタイミングで漫画を描くこと自体をやめました。
──何がきっかけだったんですか?
外山:
持ち込んだ漫画を見てくださった編集者の方が、 「描きたいことやテーマはなんとなくわかるけど、 それを完成させるにはあなたの経験値が足りなすぎる」 という言葉をくださったんです。 つまり、 私が漫画ばかり描く中学時代を過ごしてしまったものだから、 社会的な経験値が足りていない、 と。 「一般的な学生が経験するような "みんなで一緒に何かをやる" みたいなことを、 一度ちゃんとやったらいいよ」 というお話でした。
──すごく親身なアドバイスだと思いますが、 中学生が聞くにはちょっと厳しい内容だったかもしれませんね。
外山:
そうなんです。 今思えば、 本当にいいことを言ってくださったなと思うんですけど、 当時は 「才能がないって言われた」 という感覚に陥りました。 それでもどこか納得した部分はあったので、 よし、 これからは高校生ライフを満喫しよう! と決意して部活にも入りました。 とはいえ、 本来引きこもりがちな性格だったので……(笑)。 日々コンプレックスが募っていくばかりで、 親に何度も高校を辞めたいと訴えたのを覚えています。 真面目なところがあるので、 結局は学校も部活も3年間やり通しましたが。
──高校卒業後、 一度一般大学へ入学されたあとに美術大学へ進路変更されたそうですね。 漫画を描いていたくらいですから、 もともと美術の世界にも興味はあったのでしょうか。
外山:
高校2年くらいまでは、 大学に行くなら美術系がいいかもと思い少し調べたりしたのですが、 「デザイン・油・彫刻」 などの学科名を見てもいまいちピンとこなかったんです。 世の中の美術系の仕事や生き方をほとんど知らなかったので、 美術大学を卒業したとして、 その先に何があるのかを具体的にイメージできなかったことも大きいですね。 あとは……先ほどお話した編集者の方の言葉が、 変に頭にこびりついている部分もあって。
──まずは普通の人がやることをちゃんとやろう、 という。
外山:
そうです。 だから、 やっぱり一般大かなと思いましたが、 興味がある美術系ですらピンとこないわけだから一般大はもっとこなくて。 大学受験自体やめようかと思ったのですが、 通っていた高校が進学校だったのと時代的にも 「大学は行かないとやばい」 みたいな雰囲気があり……迷った挙句受験はしました。 でも、 案の定2年目くらいから 「やっぱり美大に行きたい」 と考えはじめて、 途中から進路変更し美術大学を受験しなおすことになります。
──武蔵野美術大学に進学されたそうですが、 どちらの学科に?
外山:
基礎デザイン科です。 予備校の先生が勧めてくださったのですが、 「将来どんな方向へ進むにしても、 客観的な視点でものづくりを学べるからいいんじゃないかな」 と。 基礎デザイン科は、 技法でクラスが分かれていないんです。 将来油絵をやるにしても粘土をやるにしても 「なぜこれをつくるのか」 「これをどう伝えるのか?」 という部分を学べる科なんですね。 頭が固くなりがちな学科とも言われているんですけど、 私は文脈で考えてものをつくるのが好きだったので、 結果的にいい選択だったと思います。
──当時は、 ご自身の将来の仕事についてどんなイメージをしていましたか?
外山:
アートディレクター全盛期だったこともあり、 アートディレクターへの憧れがありました。 会社員としての仕事をこなしつつ、 同時に作家的な個人活動をしている方も多くて、 単純に 「生き方・働き方」 としてかっこよく見えたんですね。 だから、 自分も将来はそういう人になれたらいいなと思っていました。
CLASKA ONLINE SHOPでは、「gungulparman
春のアクセサリー」をご紹介しています。
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