TOKYO AND ME
東京で暮らす人、 東京を旅する人。
それぞれにとって極めて個人的な東京の風景を、 写真家・ホンマタカシが切り取る。
写真:ホンマタカシ 文・編集:落合真林子 (CLASKA)
Sounds of Tokyo 56. (Shinjyuku-gyoenmae station)
韓国・ソウル市のホンデという街に、 日本人の夫婦が営む 「雨乃日珈琲店」 というカフェがあります。
私は16歳の時に高校を中退してその後雑誌で漫画を描く仕事をしていたのですが、 当時同じ雑誌に日本人ライターが書くソウルについてのエッセイが載っていて、 毎回それを読むのを楽しみにしていました。
雨乃日珈琲店には私の漫画が掲載されている雑誌が沢山置いてあって "なぜだろう?" と不思議に思っていたのですが、 なんとオーナーの清水博之さんがそのエッセイの書き手だったんです。
そんな縁もあり、 私たちはすぐに仲良くなりました。
2012年、 清水さん夫妻は故郷である石川県金沢市で結婚式を挙げることになり、 私に 「当日、 会場で歌ってくれない?」 と声をかけてくれました。 それがきっかけで、 はじめて日本を訪れることに。 まだ私がアーティストとして最初のアルバムを出す前のことです。
韓国では1945年以降日本文化の流入が制限されていて、 段階的に開放されはじめたのは1998年、 私が12歳の時でした。 ただ、 そういう状況下でも日本の漫画やアニメの海賊版が多く流通していたので、 日本文化に触れる機会はそれなりに多かったと思います。
"日本に行くんだ!" と、 気持ちが昂っていた私のために韓国で知り合った日本人の友人たちが力を貸してくれ、 金沢の他にも長野の松本、 そして東京でもライブをする機会をつくってくれました。
東京という街についてまず感じたのは、 "綺麗で静かだな" ということ。
ぎゅうぎゅうの満員電車の中でもみんな静かにしているし、 ライブを見に来てくれたお客さんも本当に静か。 私は普段から声が大きいし、 悲しいことがあると大声を出して大泣きする人なので……ここには住めないだろうなと思いました (笑)。
逆に、 賑やかな場所はありえないくらい賑やかで。 居酒屋で若者たちが大騒ぎしている様子などを見て "静と動がアンバランスだな" とも感じました。
東京で一番最初に友達になったのは、 新宿一丁目で 「IRA (IRREGULAR RHYTHM ASYLUM) 」 というインフォショップを営んでいる成田圭祐さんとパートナーの中村友紀さんです。
二人のことは、 親しみを込めて 「ナリタ」 「ユキ」 と呼ばせてもらっていますが、 最初に会ったのは2013年。 私が東京でライブを行った時に共通の友人が引き合わせてくれたことがきっかけでした。
その日は深夜1時頃にライブが終わって、 残っていた人たち皆で 「タクシー代も高いし、 電車の始発待ちをしようか」 ということに。
当時私は日本語をほとんど話せなかったのですが、 ナリタとユキは英語を話すことができたので、 英語とほんの少しの日本語の単語を入り混ぜながら缶ビール片手にいろいろな話をしました。
その時に二人が 「これから日本に来る時は、 うちに泊まってもいいですよ」 と言ってくれたんです。
それ以来、 仕事で日本を訪れる時は二人の家に滞在するようになりました。
日本の空港に到着したら IRA もしくは二人の家に直行するのがお決まりのパターン。 まずはジンジャーエールを飲んで、 たばこを吸って、 二人と会話をするところから東京での時間がスタートします。
IRA はアナキズムやフェミニズム、 DIYなどをテーマにした書籍や国内外の ZINE、 CD などを取り扱っている店で、 世界中から沢山のアクティビスト達が集まってくるエネルギーに満ちた場所です。
IRA で知り合って友人になった人も沢山いるし、 店内でライブをしたり私の短編映画の上映会をしたことも。
私にとってとても大切な場所です。
そういえば、 私が日本語を本格的に学ぼうと思ったのは 「ナリタとユキのことをもっと知りたい」 と思ったことが大きなきっかけでした。
私たちの間には 「英語」 という共通言語がありますが、 お互いにネイティブではありません。
自分自身も英語で話している時はどこか気取った感じになるというか……なんだか別の人間みたいだなと思ったりするのですが、 ナリタとユキに関しても、 日本語でしゃべる時の感じと英語で話す時の感じが全然違うなぁと気が付いた時、 「もし日本語で会話ができたら、 二人のオリジナリティに触れることができるのではないか」 と思ったんです。
それ以降、 日本への留学経験がある友人のサポートなども受けながら勉強を続けて、 今ではだいぶ日本語が話せるようになってきました。
二人の家に滞在する時は、 時間が許す限り日本語で沢山の話をします。
日中一人で都内を歩いている時に出会った気になる単語や面白い発音の言葉を、 夜二人に報告するんですよ。
例えば……「荻窪」とか。
韓国語にはない音の響きが面白くて、 二人の前で電車の車内アナウンスを真似しながら 「荻窪〜まもなく、 荻窪〜」 と繰り返し声に出していたら、 ナリタに 「我が家に九官鳥がいる!」 と言われて大笑いした楽しい思い出もあります。
東京を訪れた回数は、 もう35回を超えました。
ほとんどが仕事を目的とした滞在ですが、 幸せなことにこれまでに沢山のいい出会いがありました。
コロナ禍、 そして一緒に暮らしている猫・ジュンイチの高齢と体調不良もありしばらく長期間の来日が叶いませんでしたが、 今年は5年ぶりにバンド編成での大きなライブを行うことができて本当にうれしかったです。
そういえばナリタとユキに出会った2013年の翌年、 2014年はIRAが10周年になる年で、 記念に曲を作ったんです。 今年は2024年だから……あれからもう10年経つんですね。
二人に出会ったことをきっかけに日本語で会話をする楽しさを覚え、 話せる言葉が増えていくたびに東京という街の印象も変わっていきました。
最初は静かで綺麗で "ここでは暮らせない" と思ったけれど、 今では私にとってとても居心地のいい場所。 昔も今も変わらず、 あたたかく迎えてくれるナリタとユキ、 沢山の友人たちに感謝します。
そういえば、 私は二人の家の合鍵を持っているのでいつでも自由に出入りできるんですよ。
いつだったか夜遅く日本の空港に着いた時、 内緒で家に向かって合鍵で中に入ったんです。 その時二人は夕食を食べている最中で、 当然のことですがものすごく驚いていました(笑)。
私にとってはまさに、 "東京の家族" といえる存在なんです。
Profile
イ・ラン Lang Lee
韓国ソウル生まれのマルチ・アーティスト。 2012年にファースト・アルバム 『ヨンヨンスン』 を、 2016年に第14回韓国大衆音楽賞最優秀フォーク楽曲賞を受賞したセカンド・アルバム 『神様ごっこ』 をリリースして大きな注目を浴びる。 2021年に発表したサード・アルバム 『オオカミが現れた』 は、 第31回ソウル歌謡大賞で 「今年の発見賞」 を受賞、 第19回韓国大衆音楽賞では 「最優秀フォーク・アルバム賞」 と 「今年のアルバム賞」 の2冠を獲得するなど絶賛を浴びた。 さらに、 エッセイやコミック、 短編小説集を日本でも上梓し、 その真摯で嘘のない言葉やフレンドリーな姿勢=思考が共感を呼んでいる。
Instagram: @langleeschool
東京と私