「ボクはおじさん」の買い物再入門!

第5回 : 自然体への道は遠し 
「古本」

文・イラスト:大熊健郎 写真:馬場わかな 編集:落合真林子(CLASKA)


 お金の使い方には人間性が出るものである。 例えば私の父は節約が趣味のような人だった。 家の電気は消して回る、 バス代を節約して駅まで歩く、 洋服や鞄など身の回り品も家族に 「恥ずかしいからいい加減買い換えてくれ」 と言われるまで使う、 といった具合にお金を使わないのが喜びになるタイプだった。 そのくせ株で大損したり、 値上がりを期待して記念切手を買ったり (全く値上がることのなかったその切手を私は今せっせと使っている) するような面も持っていた。 作家のエッセイに出ていた有名店を挙げて、 「いつかあの鰻屋行こう」 とか 「あの洋食屋行きたいね」 と家族の前で言うのが口癖だったが、 結局実現することなくあの世に行った。

 一方、 姉は財布にお金があるとある分すべてをすぐに使ってしまうタイプである。 たいした稼ぎもないのに、 少しでもお金が入ると旅行に行ったり、 買い物をしたり、 食事をしたり、 人にプレゼントしたりする。 よく言えば自分にも他人にも気前がよく、 それでいてお金がなくても楽観的でいられる人である。 姉のそのようなあり方をだらしないと父は言い、 私も当時は批判的な眼差しで見ていたが、 近頃は姉のような生き方の方が幸せなんじゃないかと思うようになった。

 私の知人で実にスマートに、 自然体でお金を使う人がいる。 決して贅沢好きというわけではないけれど高価なものでもさらっと買って、 さらっとタクシーに乗って、 さらっと人にプレゼントしたりして、 それで嫌味な感じが微塵もなくていい感じで力が抜けているのである。 お金の使い方にスタイルがあるのだ。 おまけにいつもハッピーな空気をまとっていて、 この人のそばにいるとみんななんだかいい気分なのである。 これはお金があるからできるというものではないだろう。

 この知人のようにお金の使い方にスタイルがある人、 自然体でいられる人に私は憧れている。 私は父譲りなのか根っからの貧乏性気質である一方、 傍らで父を見て育っているので、 その気になればできることを先送りにして人生を終えたくないとも思っている。 ここぞという時は思い切ってお金を使って人生を楽しみたい。 ただこの 「ここぞ」 とか 「思い切って」 という時点で肩に力が入っているわけで自然体とはほど遠いのである。

 そんな私が自然体で買い物ができる数少ない場所のひとつが古本屋である。 それも店先で 100 円とか 300 円均一になっている均一本のコーナーである。 少し気になっていた本がこういうコーナーにあったりすると嬉しくなってすぐ手に取ってしまう。 文庫に新書、 単行本と何冊も駄菓子でも買うように一気に買う。 そんな時はなんかウキウキしていい気分である。 だいたい本というのはその価値に対して不当に安い気がする。 本をつくるのは実に大変な時間と労力が必要だ。 だからいい本がさらに安く、 タダみたいな値段で売られているのを見ると放っておけないのである。 でもよく考えるとこれも自分なりの 「お得感」 を感じるからこそ買うのであって自然体での買い物とは言えないかもしれない。 いずれにしてもお金の使い方ってつくづく難しい……。


Profile
大熊健郎 Takeo Okuma

1969年東京生まれ。 大学卒業後、 イデー、 全日空機内誌 『翼の王国』 の編集者勤務を経て、 2007年 CLASKA のリニューアルを手掛ける。 同時に 「CLASKA Gallery & Shop "DO" 」をプロデュース。 ディレクターとしてバイイングから企画運営全般に関わっている。

>>CLASKA ONLINE SHOP でのこれまでの連載
> 「21のバガテル」 (*CLASKA発のWEBマガジン「OIL MAGAZINE」リンクします)


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